大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和43年(ワ)13259号 判決

原告

中央高架株式会社

右代表者

増井正次郎

被告

株式会社好味屋

右代表者

芝田健治

右訴訟代理人

真野毅

外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一原告、被告の地位および原告、被告間の賃貸借契約

(一)  原告は国鉄から使用承認を受けた国鉄高架下および付属用地の管理等の事業を営むことを目的とする株式会社であり、被告は水産物、農畜産物、菓子パン類等の食料品の製造、加工、販売、飲食店営業等を営むことを目的とする株式会社である。

(二)  原告は昭和四二年二月東京都杉並区阿佐ケ谷二丁目五八番一号の国鉄高架下に国鉄の承認を受けて、鉄骨、鉄筋コンクリート造、床面積は原告現張(請求原因(一))のとおり建物(阿佐ケ谷西一号館)を建築し、店舗用の施設を設備し、これに「ダイヤ街」という名称を付し、入居希望者に賃貸し、使用させていた。

(三)  原告は被告に対し、昭和四二年二月二一日、同年五月八日それぞれダイヤ街北側スパン番号二六〇番、同二六一番の各区画を、それぞれ被告において菓子製造販売業、喫茶店営業に使用する目的で、賃料月八六、八八〇円、同六〇、〇〇〇円、いずれにおいても賃料は毎月二八日限り翌月分を支払う、期間は契約日から三年間、敷金として一二か月分の賃料相当額を支払う、国鉄の定める土地、建物貸付規則および原告の管理規則を遵守するなどの約旨で各貸付け、被告は右によりスパン番号二六〇番および二六一番の区画を店舗に使用して菓子類の製造販売を行なつていた。

以上の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二被告の店舗保管義務の不履行の有無

〈証拠〉によれば、被告は原告との間の本件賃貸借契約において原告から賃借したスパン番号二六〇番および二六一番の各区画における店舗(以下、本件店舗ともいう。)を使用するに当つては善良な管理者の注意義務をもつて管理すべきこと(以下、保管義務ともいう。)を約した(契約書一六条一項)ことが認められ、この認定に反する証拠はない。そして、右は賃借人として当然負担すべき義務を確認した趣旨と解される。

ところで、被告は、本件賃貸借契約において被告が原告から賃借した店舗について夜間(本件店舗の閉店時から開店時までの間)における保管義務を免除されたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。原・被告間の本件賃貸借契約において被告が原告に対し共益費の一として保安費を支払う旨約し、原告においては被告らから徴収した保安費用等でもつて保安係員を雇用し、保安係の就業心得を定めてダイヤ街の保安、警備の業務を行なわせていたことは当事者間に争いがないが、〈証拠〉によれば、被告は原告から本件店舗を賃借して以来その従業員をして夜間出入口扉に施錠させ、その鍵を保管させていたもので、ダイヤ街の保安係としても夜間被告店舗内に立ち入る余地がなかつたことが認められ、この事実に照らすと、右保安費の定めがあるなどのことをもつては、原告が被告に対し夜間における被告賃借店舗の保管義務を免除したと認めるには足りない。

そこで、被告の右保管義務についての債務不履行の有無につき判断する。

(一)  昭和四二年九月一七日午後一〇時一〇分すぎ頃ダイヤ街二階において火災が発生し、被告の店舗を含め二階の合計二三店舗の設備、商品、原告所有の諸設備、内装等を焼失ないし焼損したことは当事者間に争いがない。

(二)  〈証拠〉によると、ダイヤ街建物周辺の地理的状況、建物構造、火災後の状況について次のとおりの事実を認めることができる。

ダイヤ街建物は、国鉄中央線阿佐ケ谷駅ホームの高架下の東西に長い鉄骨、鉄筋コンクリート造二階建で、その東側は右阿佐ケ谷駅施設に接し、西側は高架下の空地で駐車場として利用され、北側は幅員約5.6メートルの道路を隔てて商店街に面し、南側は一部は幅員6.5メートルの道路を隔てて民家および日本通運の倉庫等と面し、その余は材木置場と接している。

本件火災当時ダイヤ街二階に入店していた店舗数は被告を含め二三で(この点については当事者間に争いがない。)、その名称および店舗配置は別紙ダイヤ街二階平面図のとおりである。ダイヤ街二階通路の床はビータイル張であり、天井の高さは2.4メートルで、天井は石綿吸音板を張り、螢光灯(一三四個)、停電灯(一四個)、冷暖房用アネモ(一六個)が各埋込んで設置されている。北側店舗(右平面図の好味屋、関野等)の南側間仕切りと通路中央の店舗(右平面図の金太郎、丸山園等、陳列ケースを設置したもので、以下中央店舗ともいう。)の北端との距離は約2.4メートル、中央店舗の南側と南側店舗(右平面図の嵯峨野、京沢ベーカリー等)の北側間仕切りとの距離は約三メートルである。

本件火災発生後において、ダイヤ街一階には全く延焼していないが、同二階では入店の二三店舗のすべてが類焼し、そのうち、南側の新京飯店の東側間仕切りと北側の被告店舗の東側間仕切りと北側の被告店舗の東側間仕切りを結んだ線の西側においては各店舗は施設、商品のいずれもほとんどが焼燬し、また天井の石綿吸音板も焼燬して通路等の上に落下し、天井には金属製のアングル、螢光灯等が残存しているのみであるが、右の東側においては各店舗を総じて概ね半焼程度の焼燬状況であり、そのなかでも東側寄りの店舗の焼燬程度が弱く、天井の石綿吸音板も焼燬を免れて原形をとどめている部分が多い。

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(三)  右に認定した事実〈証拠〉によると、根岸伸好は、ダイヤ街二階南西部分の中華料理店「三ちやん」を経営していたが、本件火災当日午後一〇時三〇分頃帰り支度をしていた際、物が燃える臭がしたので右店舗前の通路に出ると、同階北東方向が明るかつたので、右通路を東に進み、中央店舗の「金太郎」の陳列ケースの南側で、被告店舗入口付近から約七メートルのところまで来たところ、被告店舗の売店部分(スパン番号二六〇番の区画、以下売店ともいう。)のなかが燃えていたので、二階南西角の階段付置いてあつた消火器をもつて来て右と同じ場所から被告店舗方向に向け消火液を掛け消火に当つたが、そのとき被告店舗売店内では火が渦を巻くように燃えており、それ以外の場所で燃えているところはなかつたが、その後間もなく火勢が強まり、煙が多くなつたのでその場を離れて避難したこと、また、杉山信太郎は本件火災当時ダイヤ街の保安・警備の任に当つていたが、火災当日午後一〇時三〇分すぎ頃ダイヤ街一階管理室にいたとき、根岸伸好からダイヤ街二階が火事であるとの知らせを受け、直ちに消火器を持つて二階へ上り中央店舗「丸山園」の陳列ケース付近のところまで来たとき、被告店舗売店のなかが燃えているのが見えたので、さらに中央店舗の「金太郎」の陳列ケースの東側で、被告店舗入口付近から約四―メートル南側の所まで接近して被告店舗に向け消火液を掛け消火に努めたが、そのとき被告店舗以外の場所は燃えていなかつたが被告店舗売店のなかで床と天井の中程の所から上方に向つて幅員約一メートルの炎が上つており、間もなく火勢、煙に耐えられず階下に下りて避難したことがそれぞれ認められ、右認定に反する証人根岸伸好の証言は右杉山信太郎に照らし採用することができない。

(四)  本件火災後の被告店舗内の状況(請求原因(五)記載)についての争いのない事項および〈証拠〉によれば、被告店舗の焼燬状況等については次のとおり事実を認めることができる。

被告は原告から賃借していたダイヤ街二階北側スパン番号二六〇番の区画においては洋菓子の加工・販売・同二六一番の区画においては喫茶店営業(以下、喫茶部ともいう。)を行なつていて(以上は当事者間に争いがない。)、両区画での店舗の構造、設備の配置等は別紙好味屋平面図のとおりであるが右店舗の北側は大部分アルミサツシユ枠のガラス窓であり、東側および西側は板壁による間仕切りがあつて他店舗と区別され、南側の販売部の出入口および冷凍陳列ケース設置部分はアルミサツシユ枠のガラス窓または戸である。

本件火災後において右店舗の四か所の出入口の戸の鍵はいずれも施錠され、ガス栓は締められ、電源のスウイツチは切られた状態であつた。店舗内の焼燬の状況は、東側売店が西側喫茶部に比べ焼燬の程度が激しく、殊に売店のほぼ中央の仕上台および包装台付近が最も強く焼燬し、同所の木製吊戸棚は完全に焼失して床に落ちていたが、喫茶部コーナーのカウンター上に置かれた木製椅子(九個)は右包装台方向から扇状に延焼しており、また同部北側角の日本間(三畳)はほとんど燃え残り、右カウンター西側の喫茶用の木製机および椅子の焼燬の程度は弱く、その表面が黒色に変色した程度にとどまつている。

以上の各事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(五)  右に認定したダイヤ街の周囲の状況、ダイヤ街建物の構造、二階における店舗の配置、二階全体の焼燬状況、被告店舗内の焼燬状況、出火後の被告店舗内での火勢等に関する各事実ならびに証人望月清蔵、同中沖博の各証言を総合すると、本件火災の出火場所は被告店舗の売店の仕上台および包装台付近であると認めるのが相当で、この認定判断を覆えすに足りる証拠はない。

ところで、賃貸借契約の目的である建物が火災によつて焼燬した場合に、賃借貸人が、賃借人の建物保管義務不履行にもとづいて損害賠償請求をしようとするときは、賃借人の占有・使用する建物内から出火し、その出火が賃借人の行動・態度に起因するものと目すべき客観的事情のあることを立証すれば足り、出火の原因である賃借人の具体的行為内容が必ずしも明らかにされることを要しないと解するのが相当である。

すなわち、賃借人の占有・使用する建物内から賃借人の行動・態度に起因するものと目される客観的事情下で火災が発生し建物が焼燬したのであれば、反証のない限り、それだけでもつて賃借人において建物の保管につき善良な管理者の注意義務を怠つたものと認めてしかるべきであり、賃借人の支配領域というべき賃借建物内の出来事について、賃貸人が右の程度の事実を立証した場合に賃借人に反証を要求することは、いささかも同人に過大なものを求めたことには当らず、かえつて立証上公平に適うところである。

これを本件についてみると、如上の認判定判断からすれば、本件火災当日午後九時頃被告の従業員が被告店舗から帰つた後本件火災発生までの間第三者が出火場所である被告店舗に立ち入る余地はなく、第三者による放火あるいは漏電によつて本件火災が発生した可能性はなく、その他被告従業員の行為以外の事由が出火原因とは考え難い。そのうえ、本件火災後の被告店舗の状況に関する争いのない事実(とくに灰皿の所在)および〈証拠〉によれば、被告は本件賃借店舗を使用するについて日頃からその従業員らにガス、電気等火災の原因となりうるものに対する点検を励行させ、本件火災当日においてもガス栓を締め、電源スウイツチを切り、戸締りをするなど火災発生防止に対し一応の配慮を行なつたことを認めることができるが、煙草の火の始末が充分に行なわれたことを認めるに足りる証拠はないこと、出火場所が売店中央付近で、日頃従業員がその付近で喫煙していたことが認められることからすると、本件火災は被告従業員の不始末によつて発生した可能性が強く、いずれにせよ、具体的失火原因の確定はできないまでも、履行補助者たる従業員を含め、被告の行動・態度に起因するものと目すべき状況下に生じたものとなさざるをえない〈証拠〉によると、警察側でも被疑者不明なるも被告店舗からの失火として事件処理をしたことが認められる。)から、被告は本件店舗を使用するに当り善良な管理者の注意義務を尽さなつたもの、換言すれば保管義務の不履行があつたものと推認するのが相当であつて、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

三帰責事由

被告に、賃貸借契約の目的である本件店舗の使用に当つて善良な管理者の注意義務を欠いた債務不履行があつたことは、上述のとおりである。したがつて、右債務不履行が被告の責に帰すべからざる事由によつて生じたことを被告において立証しない限り、被告は債務不履行による損害賠償義務を免れないものというべきである。

〈証拠〉によれば、原・被告間の本件賃貸借契約書一六条二項において、被告はその責に帰すべき事由により原告(または国鉄)に損害を与えたときはこれが賠償の責に任ずるものとすると定められていることが認められるが、右契約条項は、原告に対する関係においては、債務不履行による損害賠償義務を確認したにすぎないものと解され、賠償の前提たる債務不履行の成否について、一般の債務不履行に基づく損害賠償請求の場合に比し過重された要件を原告に課する趣旨とは解されないので、右約定の存在は、債務不履行による損害賠償に関する一般原則たる上述の判示と牴触するものではない。

ところが、被告は賃借人としての注意義務を尽したとして保管義務違反の存在を否認するのみで、すでに前項で認定した保管義務違反が不可抗力等賃借人の責に帰すべからざる事由によるものであることについてはなんら主張・立証をしない。

四失火による損害賠償義務の免除

被告は、本件賃貸借契約において被告がその失火により原告に損害を与えることによつて原告に対し負担すべき損害賠償義務を原告から免除されたと主張するが、右主張を認めるに足りる証拠はない。〈証拠〉によると、本件賃貸借契約には、原告は火災による被告の損害についてはその責に任じない旨の約束(契約書一八条一項)があることが認められるが、原告の損害賠償義務に関する右約定の趣旨はともあれ、本件で、火災についての被告の責任に関し右のような内容の契約条項あるいはその他の合意があると認めるに足りる証拠はなく、原・被告間の契約書一六条においては被告はその責に帰すべき事由により原告に損害を与えたときはこれが賠償の責に任ずるものとすると定められていることは既述のとおりであるから、原告の責任に関する右約定をもつて、被告がその失火による原告に対する損害賠償義務を免除されたと認める根拠とすることは、到底できない。

五損害賠償の範囲

原告は、本訴において 被告の賃借店舗に対する保管義務の不履行に基づき、本件賃貸借契約書一六条二項の約束を根拠として、前記請求原因(六)記載の損害の賠償を請求するが、右請求が、被告の賃借店舗の滅失、毀損による損害に限定せず、共用部分をも含む第三者の専用部分をも含むダイヤ街二階の諸施設全般についての滅失、毀損による損害の一括賠償を求めるものであることは、その主張自体に徴し明らかである。

そして、〈証拠〉によれば、原・被告間の本件賃貸借契約(一六条二項)において、前叙のとおり、被告はその責に帰すべき事由により原告または国鉄に損害を与えたときはこれが賠償の責に任ずるものとし、さらに、この場合賠償額は原告または国鉄が決定するも頂とすると定められていることが認められる。

しかし、契約の直接当事者でない国鉄に対する賠償責任を定めた約束の趣旨・効力は別論として、賃貸人たる原告に対する関係においては、前叙のとおり、右一六条二項は、「被告は、被告の使用する施設物を善良な管理者の注意をもつて管理しなければならない」と定めた同条一項を承け、被告が右管理義務違反によつて原告に損害を生ぜしめた場合の損害賠償責任を確認した趣旨と解されるから、二項は一項にいう「被告の使用する施設物」に関して生じた損害を対象とする定めと解する方が、責任の性質からいつても、契約条項の位置・体裁からみても、むしろ相当であつて(一項にいう「被告の使用する施設物」がスパン番号二六〇番・二六一番の賃借店舗自体に限られることは、〈証拠〉の一条によつて明白である。)、右一六条二項をもつて、被告の債務不履行による損害賠償の範囲を賃借店舗以外の部分に関して生じた損害にまで拡張した趣旨の特約であるとは、契約書の文言からは当然には解し難いし、原告と被告とがかかる特約であるとの共通の認識に立つて契約を締結したことを認めさせるに足りる証拠もない。したがつて、右一六条二項を根拠として、ダイヤ街の存する阿佐谷西一号館ないしその二階部分の施設全般に関する損害賠償を求めうる特約があるとする原告の主張は、採用することができない。もつとも、〈証拠〉によると、被告は本件店舗の利用に必要な限度でダイヤ街二階の通路、廊下、階段、エスカレーター等の諸施設を使用することができるものとされていたことが認められるけれども、右各証拠によれば、原告において被告ら入店者から共益費の名目で徴収した費用等をもつて保安係を雇用し、これに巡回、警備させるなどして右諸施設を管理していたことが認められるので、被告は右諸施設を他の入店者と共同して使用することができるにとどまり、これを占有下において保管すべき義務を負つていたものではなく、したがつて、右共用施設については、用法に反した使用により直接生ぜしめた損害を賠償すを責任を負うことがあるのは別として、被告の保管義務違反を問われるべき契約関係が存したものと認めることはできない。まして、他の入店者の専用部分につき被告に保管義務の存しないことはいうまでもない。

のみならず、仮に右一六条二項を、原告主張のように賃借店舗以外の部分に関して生じた損害をも含む広範囲の損害賠償責任を定めた約束であると解すべきものとすると、賃借人の責任原因が本件のように失火にある場合については、失火責任法との関係において、その約定の効力が問題とされなければならない。失火者の損害賠償責任を失火者に重大な過失ある場合に限つた失火責任法が、一般に、不法行為に関する民法七〇九条の例外規定であるにとどまり、賃借人の債務不履行責任には適用がないとされる所以は、もともと賃借人は、賃借物を善良な管理者の注意をもつて保管する契約上の義務を負うものであつて、賃借人の失火は、契約当事者間における右義務に違反するものとして、性質上、不法行為者の一般的注意義違反行為とは異なる取扱を受けてしかるべきであるとともに、その賠償額は賃借物の価格の範囲に限定せられるのが原則であるから、不法行為者の場合のように、延焼による慮外の膨大な損害賠償責任を問われる過酷な結果を生ずる慮れはないと考えることにある。しかるに、賃借人の失火による類焼物件がたまたま賃貸人の所有物であるときは、それが賃借人の保管義務の範囲内に属さず、したがつて右類焼物件自体については保管義務違反が存しなくても、失火と相当因果関係がある限り、失火者に重大な過失までは認められない場合にまで賃貸人は損害の賠償を求めうるとするときは、他の類焼者の場合に比し、法的取扱において、(実質的には不法行為責任と異なるところはないのに)いわれなき差別を生ずるのみならず、現に本件阿佐谷西一号館について生じた全損害が問われるような事例をとつてみれば、損害の最大限度額が賃借人に予測可能であるとはいえても、賃借人が賃貸借契約によつて享受する利益に比し、不相当に過大な危険を負わせ、事実上一般不法行為者の場合と同様に、衡平の観念上是認し難い過酷な結果を生ずることのあることを免れないのである。したがつて、賃借人の損害賠償責任につき失火責任法の適用が排除されるのは、賃借人が善良な管理者の注意をもつて保管し賃貸借終了時に返還する義務を負う賃借物について生じた損害の範囲に限られ、それ以外の物件については、賃貸人の所有物について生じた損害に関しても、失火責任法の類推適用により、重大な過失のない限り賃借人は賠償の責を免れるものと解すべきである。そして、失火責任法は前述の過酷な結果から失火者を救済する目的に出た立法として、公序規定と解すべきものであつてみれば、如上の法的解決に牴触する特約が賃貸借契約中に定められている場合には、民法九〇条により、少なくとも無条件には、その効力を認めることができないものといわなければならない。もつとも、本件阿佐谷西一号館の建物の構造等に関する前記認定事実によれば、ダイヤ街二階は耐火造の鉄骨、鉄筋コンクリート造の右建物の二階部分で、広い一室を多数の区画に間仕切りし、各区画に施設を設けて店舗となしうるようにしたもので、被告ら賃借人が占有・使用している各店舗は他とは簡単な板壁による間仕切りがあるだけで、電気、ガス、水道等の配線あるいは配管等が共通であり、構造上各店舗の独立性は弱いこと、各店舗の賃借人は店舗の使用に当つてはダイヤ街二階の通路、廊下、エスカレーター等の諸施設を共同使用することが必要であることが認められ、右によると、被告店舗は、建物の構造上も、利用上も、他の諸施設と密接な関係にあるということができるだけに、このような場合に、賃借人の損害賠償責任の範囲が賃借店舗以外の部分について生じた損害にも及ぶことを明示した特約が、その対象ないし損害額の算定方法および限度額あるいは負担割合を諸般の事情に照らし衡平の観念に必ずしも反しないものとして肯認しうる合理的範囲に限定したうえで締結されたときにまで、公序良俗に反するものとしてその効力を否定すべきか否かについては、上述したところと別異に解するを相当とする余地なしとしないけれども、本件一六条二項の約束が賃借物以外をも対象とする特約と解するときは、右約定に何らの限定も付されておらず、合理的な限定を付して有効と解すべき手掛りも見出すことができないのであつて、建物の構造等に関する前叙の諸事情をもつて、直ちに、さきに示した判断を左右すべき理由とすることはできない。

これを要するに、被告は賃借店舗の保管義務違反により原告に対する損害賠償の責に任ずべき筋合いにあることは否定しえないが、本件火災がいかなる具体的な過失によつて発生したかは明確ではなく、被告ないしその従業員に重大な過失があつたものと推断するに足りる証拠は存しないものといわざるをえず、そうすると、被告の負うべき損害賠償の範囲は、その賃借店舗に関して生じた損害に限られ、それ以外の部分に関して生じた損害には及ばないものというべきである。

したがつて、原告が被告に対し、賃借店舗の滅失・毀損による損害に限定することなく、ダイヤ街二階の諸施設全般についての滅失・毀損による損害の一括賠償を求める請求は許されない。しかるに原告は本件において、被告店舗の滅失・毀損による損害に限定した賠償請求はしないと述べ、右の損害額を明らかにするための主張・立証をしない。

六結論

右の次第により、原告の本訴請求は、その余の判断をするまでもなく、すべて理由がないから、これを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(横山長 山本矩夫 大出晃之)

別紙〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例